青さについて

Kiss Mintとカロリーメイトとファイブミニみたいな青春

Erikson Control

いつもそれが自分のことだと実感するのにしっくり来ないのは、何も今に始まったことではなかった。

描いた絵に作品名と名前を書く。

学校の試験で名前を書く。

公的書類に署名する。

免許証を見つめる。

履歴書を量産する。

オンラインショッピングで個人情報を入力する。

いつだってそこには自分の氏名「籔 田 晃 平」とある。

自分の名前がそうであると認識した頃より自分の名前というものに愛着が持てなかった。

 

我が家は姓名判断を生業とする両親の知り合いの助言により、名前の画数を家族全員で統一している。

平成生まれだから「平」を付け、あとは画数が合う漢字を充てただけ。

「晃」という漢字自体には光り輝くというような意味合いがあるようだが、画数を優先し消去法的に付けられたため、特に「○○のような子になるように」といった願いは込められていない。

愛着が持てないどころか、自分の名前が嫌いですらある。

おまけにこの苗字。

小学生時代、苗字に「ブタ」を含むというだけでからかわれたり、軽いイジメに遭ったことも関係しているかもしれないが、そもそも「ヤブタ」という語感が自らの感性にそぐわない。

将来自分に子供が生まれたとき、どれだけ素敵な名前を付けてあげたとしても婿入りしない限りはこの苗字が強制的にくっついてくることを思うとまだ見ぬ我が子に本当に申し訳ない気持ちになる。

 

籔田という苗字のおこりは、戦国時代に遡る。らしい。

刀鍛冶をしていた遠い祖先がその功績を偉い武将か何かに認められ頂いた姓であるとかないとか。

竹籔と田んぼでも貰ったのだろうか。

絶対二つも要らないだろ、どっちかにしてくれよ、と子供ながらに親からこの話を聞かされ思ったものだ。

そう思うとまだ「やぶ」をピックアップして友人たちが付けてくれたニックネームの方が愛着が持てる。

「やぶ」「やぶちゃん」「やぶくん」「やぶさん」「やぶんぶん」「ぶんぶん」「ちゃんやぶ大先生」「ヤビンビン」「ぶんちゃん」「やぶんぶん釈迦」etc…

これらの方がまだ自分を呼ぶために誰かが付けてくれたor選んでくれた名前だと思えて嬉しい。

変なのが多いところは目を瞑って頂くとして。

 

結果的に姓も名も、自分のことを指す記号としてしか認識したくなかった。

自分の名前を気に入っていると言う人間を心から羨ましいと思う。今でもだ。

 

加えて「籔」という漢字の書きのややこしさ。

「藪」「薮」「䉤」と間違えられ方もバリエーション豊富だ。

読みの場合「ハマザキじゃなくてハマサキです!」と自分の氏名を間違えられると間髪入れず訂正してくる人がいるが、書きの場合は間違わせてしまったこちらが悪いような気持ちになり、訂正するのも気が引けてくる。

そもそも自分自身「藪田公平」でも「䉤田滉平」でも何でもいい。

何なら「破った恋文」とかでもいい。

小学生時代「ヤブタのラブレター破れた〜!」とからかわれ、そんなことあってたまるかと激昂した反面「巧いこと言うなあ、語呂も良いし」などと感心したものだった。

私のラブレターを受け取った歴代の恋人たちは、破局の後それらを破り捨て私の苗字に想いを馳せたのだろうか。

決して体を張ったギャグでないことだけは慮った上で直ちに破り捨ててくれないだろうか。

 

大人になった今となっては、自分を自分たらしめるものは名前などでなく、その人の属性、所属、役割、性格、経歴、インプット、アウトプットだと思う。

信用金庫で新米営業としてスーパーカブに跨る薮田くん。

印刷屋さんでシルクスクリーンを教えて楽しそうな藪田さん。

小中高とバスケをやりながらも本当は文化系で、絵を描いたりギターを弾いたりする方が好きなやぶ。

JC-120にミドル上げのオーバードライブかませたテレキャス鳴らして爽やかな曲ばっかり演奏してるやぶさん。

青い服ばっかり着て水色のリトルカブに跨るやぶんぶん。

 

名前などに頼らず、自分を形成する要素は自分で築き上げなくちゃ。

と言いたいところだが、やはり幼少期より自身の名前に誇りを持ってる人間はアイデンティティ形成の過程すら、自信を帯びたものになるだろう?そうなんだろう?っとうがった見方をしてしまう。

もう自分はその誇りを物心と引き換えに打ち砕かれてしまった。

なので「籔 田 晃 平」であること以上の自分自身を色んな角度から見出し、またどこかで誰かがそういった私の形成要素と出会ったときに私のことを思い出してもらえるくらいの人間にならなくては、と思う。

せっかく生まれたのだし。

 

これを読んだ人の中にも自分の名前をコンプレックスに感じていたり、何の愛着も持っていない人もいるかもしれない。

せっかく親から頂いた名前なのだから、捻くれず自信を持った方がいいですよ、と締めくくった方がブログとしては健康かもしれないが、個人的にそうは思わないので、せめて自分の子供には良い名前をつけてあげようぜ、と強制しない程度に提案しておく。

 

それにしても、やはり手紙やブログを書く際に締めくくりに堂々と「それでは御機嫌よう!○○でした!」と自分の名前を添えることができるのは羨ましい。

皆さんは自分の名前が好きですか?

僕は大嫌いです!それでは御機嫌よう!

破った恋文でした!

 

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Adolescent Capsule

2009年夏。

Base Ball Bearの「BREEEEZE GIRL」リリース。

ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破」が公開。

1年間の海外留学に行っていた当時の彼女や友達が帰ってくる時期。

最後の学園祭では「雨に唄えば」の仮装をするため夏休みも学校に通い準備をしていた。

日焼けした腕に蛍光黄緑の安物の腕時計をつけて、Taggerメッセンジャーバッグを背負って、ポロシャツを着ていて、俺は高校3年生で18歳だった。

 

思い出せることが少なくなってきた気がして何だか悲しい。

 

 

部活も引退して、予備校に行っても勉強なんかほとんどしてなくて、発表の場もないのにギターの練習をずっとしていて、卒アル制作のために写ルンですで写真を撮り溜めて、影で勉強しているらしい友達と遊んでいた。

友達3人とビデオインアメリカの白梅町店でCDを5枚ずつ借り、1人の友達のiTunesに全部突っ込んで同期させてもらうなどして新しい音楽をたくさん聴いていた。

 

そんな楽しい日々を過ごしていても襲ってくる十代の頃のあの何となく寂しい感じは一体何だったのか。

身の回りに望むものが揃っていても拭いきれない孤独感。

自分が大学生になって将来どんな仕事に就くかなんて全く想像も出来なかったし、何なら27歳くらいで死んだら格好いいんじゃないか?なんて考えていた。

みんなはどういう感情を持って日常を過ごしているのかずっと気になっていた。

 

今でも新しい音楽を聴くとき、どこかに寂しさを見出そうとしたり、ストーリーの中に当時の自分の影をイヤホンで探している気がする。

 

10年経ったいまは当時の自分では想像できないほどに楽しい時間を過ごしていて、それでも恋愛がうまくいかなかったり、まだ友達と新譜の感想を話し合ったり、それほど以前と変わらない生活を送っているような気もしていて、俺は社会人5年目で28歳になったよ。

 

 

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NEW!!!!!! ERA!!!!!!!

年の瀬の「瀬」とは歩いて渡れる程度の浅い川であり、急な流れでもある言葉です。

語源としては昔の現金商売時代の掛での売り買いの清算をするという意味合いだそうで、年末はそういう意味でも師が走ったのかもしれませんね。

年末に始まったことではありませんが、僕自身も今年は「お金」について考えさせられる年となりました。

金融を辞め、転職し所得を下げながらも好きなことを仕事にして、慎ましく一人暮らしを楽しんでおります。

2019年の目標は何か新しいことを始めること、会社の経常利益を上げることです。

 

 

 

 

 

て言うてる間に年越しました〜〜!

みなさんあけおめ〜〜!

Living Dying Showcase

「とても目が綺麗だったので、つい」となんばの地下道で声をかけてきたその女性は出会ってまだ名前を教え合わないうちから僕のことを知りたいと言い放った。

年齢や出身、仕事のことなど質問攻めに遭うも僕はドギマギしながら丁寧に答えようとする。

答えようとするが、彼女の一番最初の質問が僕の頭の中を支配し続けそれ以降は心ここに在らずな返答しか出来なかった。

10分前に遡る。

 

僕はBase Ball Bearの大阪公演に参加した後、なんばハッチを後にし地下道を駅に向かって歩いていた。

自身の青春を回想させるセットリストだったので感傷に浸り、その曲をイヤホンで聴きながら余韻にも浸っていたときだった。

すれ違いざまに女性に呼び止められた。

イヤホンをしていたため、初めは聞き取れず「えっ?」と反射してしまった。

普通だったら気に留めず、そのまま立ち去る人の方が多いかもしれない。

だがその女性は、繁華街によくいる現金寄付を募る外国人でもなければ、宗教の勧誘でもなさそうな風貌だったので困ってるのかもしれない、とつい足を止めてしまったのだ。

 

中肉中背中年のおばさんだった。

 

正直言うとこういうことがよくある。

僕は子供の頃から知らない人によく声をかけられる。

中学生の頃、大人の女性に遊びに誘われたり、高校生の頃、ライブハウスで1個上の他校の女の子に無理矢理アドレスを交換させられ毎日メールを送りつけられたり、予備校の食堂で僕のバッグ(ノートとか教材を入れる取っ手のついたプラスチックのあの懐かしいやつ)に貼ったベボベandymoriのステッカーを見て他クラスの人から声をかけられたり、渋谷でカンペを見ながらの宗教の勧誘を受けたり、交通量調査のバイト中ヤバいおっさんに絡まれたり、磔磔で中国人留学生に中国人と間違われてナンパされたり。

外国人観光客に道を聞かれるのなんて月イチペースで、この前なんて乗り換えまで口頭の英語で説明した。

 

今回は一体何だ?と、イヤホンを外す。

おばさんは「いまお時間大丈夫ですか?もしよろしければあなたの好きな本や大切な本、印象に残っている本を教えて頂けませんか?」と言う。

何だアンケートか、と安堵し「好きな本か…何だろう…」と考え始めたところでおばさんは口を開き加えて「私たちはヒューマンライブラリーというサークル活動をしている者でして、その活動の一環でこうして色んな人に話しかけてるんです」と心底怪しいことを口走った。

 

一方的に色々説明されたが、要は人の個性や人生観を本に見立て、彼らのサークルであるヒューマンライブラリーに蔵書(所属)する。

そしてその本役である人との対話を通じ、読書という行為に例えてその人のことを知ろうとする、理解する、そういったコミュニティを広げるといった活動内容で、数年前から世界各国で話題となっているものらしかった。

 

なるほどなるほど、決して怪しい勧誘でもなければ悪徳商法でもないのですね、ふむふむ、と説明を受けている最中ずっと人形のように相槌を打っていたが、そんなことはどうでもよくなっていた。

 

自分の好きな本や大切な本、印象に残っている本が全く思い浮かばなかったのだ。

もちろん本は好きだし、まぁたくさん読む方ではないけれど、曲がりなりにも現在紙に携わる職に就いている手前、自分の好きな本くらい他人にビシッと言えなくてどうする、じゃあ何だ?とずっとモヤモヤしていた。

漫画でもいいですよ、なんて言ってるけどこれはどう考えてもオススメの漫画を紹介するシチュエーションではないように思えた。

4,5分は悩んでいたと思う。

その女性もついには「こんなに真剣に考えて頂けるなんて思ってませんでした」と言う始末。俺もだわ。

「他の方は何て答えたんですか?」と逆に質問すると「意外と児童書を挙げるご年配の方もいらっしゃいましたよ」とのことだった。

自分が人生で初めて読んだ本は何だったか…と思いを巡らせる間も無く一冊の文庫本が浮かび上がった。

 

「夏の庭 The Friends」という湯本香樹実の有名な児童文学小説だ。

 

恥ずかしながら私は小学生時分まで読書というものが嫌いだった。

苦手というわけではなかったが、活字の面白さを知るより先に、読書の時間を勿体ないと感じる子供であった。

時間をかけて読んだ作品が面白くなかったら損した気持ちになるのでは、といった具合に捻くれていたため、それなら映画を観たり漫画を読んだ方が手っ取り早いと思っていた。

しかし進学した中学には朝の読書タイムなるものが存在しており、一限が始まるまでの15分間は本を読みましょう、という国語教師の中途半端な指導が反映されていたのだった(何故か中1の一学期だけだった気がする)。

家に帰っても私の本棚にはONE PIECEとバカドリルが同居しているだけで、人生訓を中1の馬鹿に説くような高尚且つやさしい読み物など存在していない。

一時父親がこれを読みなさいと言って「十五少年漂流記」の文庫本を渡してきたことがあったが、父親に読めと半ば強制されたことが癪だったこともあり素直に受け入れようとせず、海賊とバカの前に敗れ去りこの文庫本も文字通り漂流することとなったのだった。

そんなプチ反抗期の私でも姉の勧めるもの、姉が鑑賞しているものからはダイレクトに影響を受けていた。

姉が教えてくれたスーパーカー松本大洋岩井俊二も子供の頃の私にはとても刺激的だった。

そんな姉から朝の読書タイムにこれを読めば、と渡されたのが「夏の庭 The Friends」だったのだ。

小学生の男の子3人組が「死」とはどんなものか興味を持ったことから、近所に一人で住むお爺さんの観察を始めたものの、次第に子供たちはおじいさんと打ち解け、おじいさんのために出来ることをと奔走し、お爺さんも子供たちと出会ったことで新たに生き甲斐を見出し、そして永遠の別れが訪れて…

といった子供の目線で「死」を捉え考えさせる名著なのだが、僕がこの本を読んだのは後にも先にもその中1の朝の読書タイムのときだけなのである。

にもかかわらず、私はなんばの地下で見知らぬ女性によってこの本を思い出すこととなった。

 

初めてまともに読んだ活字だから?

「死」を扱う印象的な書籍だから?

それは否だ。恥ずべきことに僕はこの本を読まされたのだ。

姉にではない。朝の読書タイムという体制に読まされたのだ。

目の前にいる女性の説明するヒューマンライブラリーという社会人サークルの話を聞いてはっきりそう思ったのだ。

本来自然発生すべき人と人との対話により生まれる相互理解をこのサークルに所属させることで半ば強制しているのではないか。

勿論批判しているわけではない。

個人レベルで見れば「サークルに属しないと人とコミュニケーションを取れないなんて」と悲観されそうだが、集団レベルで見れば「体制を整えることでコミュニケーションの輪が広がるなんて素晴らしい!」と話題になりそうではある。

これは朝の読書タイムにも言えると同時に、世の中の一歩踏み込んだ行為とは実は一人で成し遂げるよりも長いものに巻かれた方が楽なのではないか、と思い至ったのだった。

 

とりあえず目の前の女性に「夏の庭 The Friends」と自分の読書習慣形成の起源について語った。

案の定サークルに参加してくれと頼まれ、連絡先まで交換した。

あなたはヒューマンライブラリーに蔵書されるべき素敵な考えの持ち主だ、と。

承諾もお断りもせず「考えておきます」と告げその女性と別れた。

多分、参加することはないだろう。

決してこの活動を否定しているわけではなく、自分には必要がないと思った。

勿論映画や漫画を読んだ方が早いと思ったからではない。

私にはこういった自分の理解が及ばない他者との出会いは自然発生してほしいと考えているからだ。

そういう意味では声をかけてきた女性との出会いは自然発生と言えるのかもしれないが。

とりあえずこのサークル活動に参加するかは未定だが、友人知人に好きな本を聞いてみるところから自分もコミュニケーションというものについて考え直してみようと思った良い機会となった。

 

 

 

ちなみに余談だが、別れ際「何でこんなに人が歩いてるのに僕に声をかけたんですか」とその女性に聞くと「とても目が綺麗だったから、つい」と答えた。

ベボベを聴いていたから十代の目を取り戻していたのかもしれない。

今回参加したBase Ball Bearのツアー名は「LIVE IN LIVE 〜I HUB YOU〜」であり、ベボベがHUBとなって人と人、バンドとバンドを繋ぐというコンセプトの対バンツアーだという。

小出もこんなところにまでその思惑が届いてるとは思うまい。

 

 

 

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

 

 



 

 

恋するリトルカブ

その日は7時55分に目が覚めた。

開いているとも閉じているとも言えない瞼で何を眺めるでもなく、仰向けのまま手探りで布団に転がったiPhoneを捕まえる。

今日は午前中大切な予定があるから起きなきゃと布団から立ち上がった瞬間だった。

 

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「大丈夫!?」と叫びながら朝食を作っていたであろう母の安否を確認する。

テレビをつけるより先にツイッターで状況を確認し、想像以上に被害が大きいことに驚愕した。

同時に阪急もJRも全く動いていないということを知り、狼狽する。

狼狽しつつも何故だか頭の片隅で「いつも大きな地震が起こるたび望月峯太郎の漫画『ドラゴンヘッド』のことを思い出すなあ」とぼんやり考えていた。

そんなことを考えている場合ではないし、あれは地震の漫画でもない。

最終面接の日だった。

 

大阪で朝11時から面接だったのだが、これは面接どころではないなと電話をかけるも「現在回線が大変混み合っております」と音声が流れ全く繋がる気配がない。

仕方なくメールを入れ、電話が繋がるまでコールし続けていると、先方から着信があった。大阪からかける分には繋がったらしい。

結局面接日程を変更したいが目処が立たないのでこちらからの連絡を待ってほしい、とのことだった。

 

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8日後、私は9時40分に目が覚めた。

「今日は延期になった最終面接の日だったっけ」

「時間は確か11時からだったような」

「おかしいな、どうして今9時40分なんだろう」

「あ、そうか。昨日の思い立って『劇場版 名探偵コナン 世紀末の魔術師』を観て夜更かししたからだな」

「11時に大阪に着くために余裕を持って9時半くらいの電車に乗るつもりだったな」

「ん?いま9時40分??????」

ノローグが3秒で頭を駆け巡り、布団を飛び出し、着替え、髭を剃り、歯を磨き、奇跡的に寝癖がついていないことを確認し、リュックとヘルメットを掴んで家を飛び出した。

私は時速200kmを超える速度で京都から新大阪まで風を切ったのである。

無論、新幹線でだ。

「のぞみ」という名前がそのときの自分への当てつけのように思えてならなかったが、藁にもすがる思いで1400円ちょっとを献上し、予定の時間内に大阪の地を踏むに至ったのだった。

 

 

「まぁもう内定なんですけどね。今日はうちの会社の説明をさせて頂いた上で入社するかどうかを決めて頂くということで」

面接室に到着する前にあっさり就職が決まった。

頭の中の高山みなみが「劇場版 転活生ヤブン 地獄へのカウントダウン!」と叫んでいた毎日ともこれでオサラバだな、などと考えていた。

社長から会社のこれまでの歩み、給与面、福利厚生面、今後の展望や計画などの説明を30分ほど受けたあと、メインバンクからどのような借り入れを受けているか、利益の上げ方と大体の割合、クラウドファンディングをどのように使っているか、渉外の方法、残業内容などをこちらから質問し、また社長の受け答えを観察した上で入社を決めた。

聞こえは偉そうだが、金融機関で法人営業をしていた自分なりの目利きで判断した結果である。

勿論、以前の職場に比べれば条件面では劣るだろう。

シフト制で、福利厚生面も充実しているとは言い難く、結婚も遠のくと思っている。そして年収も…

それでも興味関心の中で仕事ができるであろうこと、またこれは他人には理解し難いかもしれないが、この社長の手助けをしたいという思いが芽生えたこと。

金融で営業をしていたときに後悔していた点である。

後者に関しては自分の力が至らず、泣くほど苦悩した点でもあった。

こんな素敵な仕事をしているのに業績が改善されないなんて…という思いは二度としたくなかったのだ。

 

SNS等でも宣伝をすることになりそうなので、あえてここに明記するが、就職先は大阪のレトロ印刷JAMという会社だ。

関西のカルチャー面に造詣の深い方ならZINEやフライヤー、CDジャット等でJAMの印刷物を目にしたことがあると思う。

スピード印刷、大量印刷から脱却し、孔版印刷によるインクのズレや掠れ、色落ちを持ち味として親しまれてきた印刷会社だ。

個人的にもシルクスクリーンでTシャツやエプロンを作る際に一度利用したことがあったため、元々仕事内容には大変興味があった。

まさか働くことになるとは思いもしなかったので、本当に人生何があるか分からないものである。

 

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面接を終えたその足で河原町に戻り、不動産屋を訪ね3件内覧したあと、2時間半で部屋を決めた。

人生初の一人暮らし。

京都市内ではあるが。

ベランダを開けると目下に川が流れている小さな部屋を借りた。

週明けには入居するので27年過ごした山の麓の実家生活もあと少し。

購入する家具を検討し、部屋の間取りを考えるのは、女の子との初デート前にプランを立てる時間に似ていると思うのは私だけだろうか。

 

大きい買い物は入居してから車で行くとして、キッチン雑貨や小さなインテリアグッズはバイクで買いに行っておこう、と外出する。

平日昼間に街を走っていると、クールビズの金融マンがスーパーカブに跨っている姿をよく見る。

この前まで自分もああだった。

しかし少しの勇気と、人生の猶予と、金銭を削って行く先を変えた。

足取りは軽い。

そういえば、リトルカブよりもスーパーカブの方が重たくて、動かすのが大変だったな、と思い出す。

 

 

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夢見るスーパーカブ

4月で3年間勤めた信用金庫を退職することに決めた。

再就職先は未定だ。

3年間で預金係、融資係、法人営業と営業店で出来る限りの仕事をし尽くした結果、自分に金融という業種が合ってないと判断した末の決断だった。

 

そもそも信用金庫とはどういう仕事をする会社なのか。

業務内容は銀行と同じだ。

お客様からお預け頂いた大切なお金を、事業資金が必要な法人や個人事業主、住宅や車の購入資金が必要な個人のお客様に貸し出す。

預金を払い戻すときには利息を付与し、貸出金を返済してもらうときには利子を頂戴する。

利息より利子の方が金額が大きいため差(利鞘)が生まれ、これが金融機関の利益となる。

その他手数料収入などもあるが、基本的にはお金を預けてもらい、お金を貸し出すことが金融機関人の使命だ。

私はこれを生業とすることをあまり深く考えずに入社したように思う。

銀行ではなく信用金庫を選んだ経緯として、取引対象先が中小企業や個人事業主に限られ、地域に根ざすことができる点、京都という生まれ育った町の発展の一翼を担うことができるという点が挙げられる。

採用面接においても志望動機としてこれらを主張したが、勿論嘘ではない。

嘘ではなかったが、ただ覚悟が足りなかった。

 

人事異動による人繰りの都合もあり、窓口での接客応対と事務しか知識がないにもかかわらず2年半で営業として外に出る羽目になった。

最初は不安しかなかったが、やることはある程度決まっている。

自分の担当顧客の業態を理解し、困っていることを聞き出し、解決策を思案し行動に移す。

それが例えお金を貸すことであっても、経営改善のアドバイスであっても、仕入先や販売先、物件の紹介であっても、利益に繋がらないことであってもお客様の力になれることには尽力する。

そうして仲を深め、未来の更なる取引に繋げる。

レート面では他の金融機関に劣るため、お金を預けてもらえるかどうか、お金を借りてもらえるかどうかはその過程があってこそだ。

また、新規開拓でそういったお客様をたくさん増やしていかなければ、営業として未来はない。

情けない話だが、私はそういった過程を含め、結果があまり振るわなかった。

その上、どんなに力になりたくても、できる限りのことを尽くしても、自分の担当顧客の経営が傾いていく様を目の当たりにすることがつらかったのだ。

諸先輩方からすれば、そんなもんいちいち気にしてたら身が保たんよ、と一蹴されてしまいそうだが、本当に身を保たせる自信が私にはなかった。

勿論お客様との絆を深め、役に立ち、感謝された例も多々ある。

しかし経験やスキルが足りないのは当たり前として、それらを身につけていったとしても一生この仕事を続けるのか、と思うととてもじゃないが耐えられなかった。

結果、逃げるような形で退職を決めたのだ。

 

退職を決めたいま、じゃあどんな仕事が向いているのか?と問われれば正直なところ自分でもはっきりとは分からない。

ひとつ言えることは、他人に共感、感情移入し過ぎてしまうことが有利に働く仕事に就きたいと思う。

金融でもそういった性格を武器にすることはできるかもしれないが、あまりダイレクトに他人の人生を左右したくはない。

人生の分岐点だ。

自分と向き合うことに必死で、不安だ。

 

時に、私には「性格の良いギャルの主任」と勝手に呼んでいる入社から世話になった大好きな先輩がいる。

預金窓口に座っていた頃、直々に仕事を教わり、時にはふざけ合い、時には叱られた思い出深い先輩だ。

いまは産休に入られ、私が退職するまでに一緒に働くことはないのだが、ある日制服を返却するため職場に来られたことがあった。

私は直属の上司と支店長と相棒の同期にしかそのときはまだ退職の旨を伝えていなかったが、主任にはどうしても言っておかなければ、とすべてを告白した。

ある程度形式ばった激励の言葉が返ってくるだろうと踏んでいたが主任が発したのは意外な台詞だった。

「まだ26歳の男の子やもん。何にでもなれるのが羨ましいわ。まぁ転職以外にも色んな人生があるから、あんたなりに頑張り。」

そうか。転職のチャンスを持っていることや、未婚であること、若いということは十分な武器なのか。

そうか。色んな方法で人生を拓けるのか。

ありきたりなことのように思えるが、日々を共に過ごした大好きな主任の口からそれを聞かされると自ずと元気が出てきた。

自身の不安よりも、お世話になった主任のためにも良い報告が出来ればいいなという考えが頭の中で優先された瞬間だった。

 

 

 

3月末に、半年間乗り続けたスーパーカブの掃除をした。

そのときも感慨深いものがあったが、最後の最後にそのスーパーカブでお客様のところに訪問しようとアクセルをひねったときに前輪がいきなりパンクしたことにも意味深なものを感じた。

代わりに内勤用のスーパーカブを使うこととなったが、このスーパーカブも私が営業に出る前に集金担当として1年間、週3回乗っていた思い出深いものであったことを思い出した。

営業用のスーパーカブと違い、内勤用はポンコツだ。

エンジンがハンドルのボタンでは上手くかからず、キックを使わなければならない。

 

前に進むために蹴って、蹴って、蹴って、走り出した。

 

 

 

 

 

THE PROUST EFFECT

マルセル・プルーストが私の物語を記したなら、きっとミロを粉のまま頬張る様を描写したに違いない。

 

フランスの文豪である彼の小説『失われたときを求めて』の中に、紅茶にマドレーヌを浸したその香りで主人公の幼少の記憶が蘇るというシーンがある。

この現象は「プルースト効果」と呼ばれ、科学的に解明されているらしい。

嗅覚や味覚の記憶は薄れにくく視覚や聴覚といった他の感覚と違い、海馬や扁桃と直結しているため人間の本能的な行動や感情に直接作用するのだという。

 

そんなことはどうでもいいペディアで、先ほど母校の大学の近くのラーメン店に行ってきた。

背脂醤油ラーメンのチャーハンセットが好きで、学生時代にゼミ終わりやバンド練習終わりによく通った。

奥の座敷席でラーメンをすすり、煙草を摘んで友人と駄弁を振るった。

 

そんな思い出深い店が今週末で閉店するという。

しばらく食べていなかったこともあり、折角なので行っておこうと仕事終わりに足を運んだ。

一口目で光り輝く学生時代が蘇るだろうな、という予想に反して私が最初に思い出したのは一足の靴のことだった。

 

私は大学4回生の頃、セーラー服をイメージしたハイカットのコンバースを履いていた。

いつものようにそのラーメン店の座敷席に向かいコンバースを脱いだとき、セーラー服の襟があしらわれた足首に触れる部分の生地に穴が空いていることに気づいた。

そのことが恥ずかしくて私は同席した友人に気づかれないようコンバースを友人の靴とは遠ざけて置いたのだった。

 

この回想がプルースト効果に該当するかは分からないが、これほどまでに失われても構わない記憶をも呼び起こせるのかと嗅覚や味覚の記憶の絶大さを実感した。

折角なら淡い記憶を思い出し涙でも流してみたかったものだが、ラーメン店ではそうもいかないらしい。

 

冬が終わって、また様々な匂いが街に溢れるそのとき。

ハッと足を止めて感傷に浸る、そんな一人劇のハイライトが私を待っているのかもしれない。

呼び起こされるそれが人生の根幹か、青春の残滓か、恋の破片か。

未だ見ぬ昔の自分との対峙を、私は心を弾ませ恐れているのだ。

 

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