little estate
土曜日にもかかわらず、職場へ向かうバスに揺られている。
1時間だけの休日出勤。
思いの外、高揚しているのはきっとどこか非日常を感じているからだろうか。
ゆとり教育が始まる前まで実施されていた土曜日の授業に似ている。
そういった特別感のようなものをいつだって求めている。
印象深い場所や、誰といるかで日常が思い出に変わると思う。
市民プールで食べるセブンティーンアイス。
神社で飲むファイブミニ。
ライブのSEで流れるスーパーカー。
職場の屋上で昼休みに読む小説。
スーツを着た幼馴染と地元に帰る金曜日。
ファインダー越しに覗く恋人。
クリームソーダ。
特別な瞬間を、ずっと特別だと感じ続けたいし、風化した物事を忘れない大人であり続けたい。
小さな高揚をいつまでも。
でも、風船を見ると今でもワクワクしてしまうのは僕が子供なだけかもしれないな。
YOUNG ADULT TRANSITION
バンドがしたい。
最近それしか考えていない。
僕がバンドを組んでいたのは後にも先にも大学4年間のサークル生活だけだ。
中学、高校、浪人時代もずっとバンドを組みたいフラストレーションを溜め込み続けていたように思う。
バンドがしたい。
そもそも、どこで僕の人生は音楽に傾いたのだろうか。
僕が人生で初めて童謡やアニメソングなどを除いて音楽を意識し出したのは5歳の頃と記憶している。
親にねだり、人生で初めて買い与えられたCDは広末涼子の「MajiでKoiする5秒前 / とまどい」の8cmシングルだった。
嫌なガキである。
そして何故かここから6年間ほぼ音楽に興味が湧くことなく小学校生活を送る。
しかし契機は5年生のときに襲われたインフルエンザだった。
家の中でも隔離を余儀なくされた僕は、当時我が家で唯一の個室だった姉の部屋と寝床をチェンジし安静を図ることに。
当然寝る以外にすることもなかった僕は、布団から手の届く範囲にあった姉のラジカセを触ってみた。
そのとき流れ出したのがBUMP OF CHICKENのダイヤモンドだった。
実にベタである。
高校生になった姉がクラスメイトから借りたアルバム「jupiter」が僕の一番のお気に入りの音楽となった。
そこからジュディマリ、くるり、スーパーカー、スネオヘアー、レッチリ、GREEN DAY、Aqua(Cartoon Heroesとか超懐かしい!)など姉の聴いてるCDやカセットテープを片っ端から聴き漁り、小学生の頃からそっち側に偏り始めていたのである。
中学生になりお小遣いが導入された。
我が家のお小遣い制度は月1で、中学1年は1000円、2年は2000円、3年は3000円、高校3年間は一律5000円というCDが欲しいお年頃には少々難儀なものであった。
よって、止むを得ず手をつけた金銭捻出方法が、日本国においてイニシエより伝わる「昼飯代を浮かす」というものだったことは皆さんの予想の範疇だったであろう。
食欲を音楽で満たすロックンロールな精神。
このようにして月1000〜3000円、不定期に母が「弁当を作るの面倒くさ〜い」と言った日に渡される昼飯代500円のうち300円を浮かすなどして、僕はCDを買ったりレンタルしたりしていた。
ちなみに初めてお小遣いで買ったCDはバンプの「オンリーロンリーグローリー」である。
藤原基央に憧れてダボダボのケミカルウォッシュとグレーのパーカーを着てた頃もあった。
田舎者が頑張った感を存分に醸し出していた。
そして2005年、中学2年生になり漏れなく僕はギターを握ることとなる。
父が昔弾いていたMorrisのアコースティックギターである。
モテると思ってギター始めた〜〜などと適当を言っていた時期もあるが、それよりも恥ずかしいことにスノースマイルの指弾きがどうしても弾けるようになりたかったのだ。
500円のスコアを買いバンドを組んでるわけでもなく、発表する機会があるでもなく猛練習した。
この頃はまだあまり流通していなかったYouTubeを僕は存分に活用し様々なPVやライブ映像を鑑賞しまくっていた。
いま改めて考えるとここでインターネットエロに走らなかった自分は結構やばかったと思う。
特に聴いていたのがバンプ、レミオロメン、アジカン、スーパーカー、チャットモンチー、スネオヘアー、BEAT CRUSADERS、フジファブリック、GOING UNDER GROUND、POLYSICS、サンボマスター、銀杏BOYZ、スピッツなどである。
趣味の合う友達なんていなかった、と言えばそうでもなく、中学校の同級生に邦ロックが好きな女の子が何人かいたので仲良く話したりCDを貸し借りした。
よくあるロック少年の「友達はなく、運動もできず、一人で昼飯を食い、ヤンキーに虐げられ、女子とは話せず、ヘッドフォンしながら家と学校を往復するだけの日々を過ごす」といった属性ではなかった。
正直友達は多い方ではないが、バスケ部のスタメンだったし、ヤンキーより背も高くて175cmだったし。
大学の後輩に「やぶさんは何だかんだでこっち側じゃないからクソ」とよく言われる。
話が逸れた。
この頃メジャーな邦ロックに傾倒していた自分にとって初めてとなるインディーズのCDとの出会いがあった。
Base Ball Bearである。
初めて一人でドキドキしながら訪れたタワーレコードで「夕方ジェネレーション」と「HIGH COLOR TIMES」を手に取った。
完全に自分の好きな音楽がジャンルが確定された。
爽やかなサウンドが好きだと。
翌年ベボベはミニアルバム「GIRL FRIEND」でメジャーデビューし、1stフルアルバム「C」をリリースした。
この「C」に入ってる「GIRL OF ARMS」という曲はリリースから10年経ったいまでも僕の世界で一番好きな曲だ。
高校生になりベボベのルーツを辿りNUMBER GIRLに行き着いた。
パクリだと言われていたが、それでも尚ベボベの方が好きだ。
高校1年で初めてできた彼女もベボベが好きで仲良くなったのが契機だった。
思い入れは深い。
まさかギターの湯浅が脱退するとは想像もしていなかった頃。
入った高校には軽音楽部があり即入部したが、顧問の先生が苦手で一度も行かずに辞め、結局バスケを続けることにした。
このことを後悔しているわけではないが、やはり高校生バンドを組んでみたかったなと今でもたまに思う。
高校2年あたりから軽音でスピッツとGREEN DAYのコピーバンドをしていた陽ちゃんという男子と仲良くなった。
部活がない日は陽ちゃんとよく遊んだ。
レンタルショップに行き、借りたアルバムを陽ちゃんの膨大量のiTunesに突っ込み同期させてもらうなどしていた。
ちなみにこの頃使っていたiPodはnanoの第3世代の水色である。最高。
大学受験に失敗し華麗なる浪人をキメた僕はNUMBER GIRLとZAZEN BOYSにますますハマりいよいよ友達が少なくなった、
というわけでもなく、通っていた予備校で音楽友達ができていた。
当時流行したノートや教科書を入れる取手のついた謎のプラスチックの鞄にベボベとandymoriのステッカーを貼っているのを見たらしい京大コースの女の子が「Base Ball Bear私も好きなんです」と話しかけてくるなどした。
コアラ顔のサマーであった。
この子にART-SCHOOLのCDを全部借りてからというもの、浪人生の放つ独特な陰鬱オーラに拍車が掛かったような気がしないでもない。
予備校をサボり遊びに行った学園祭ライブでザゼンと七尾旅人を観たことから第一志望に決め、見事入学を果たした同志社大学では速攻で軽音サークルに入った。
Base Ball BearとSUPERCARのコピーバンドをどうしてもやりたかったのだ。
結局結成したバンドでの一番最初のライブで披露した曲はド下手クソなNUMBER GIRLの「透明少女」であったが、今なお黒歴史ではなく語り草だ。
1回生の間はベボベ、ナンバガ、スーパーカーのコピーバンドとして活動し、2回生からは以前記事にも書いた通りオリジナル曲を製作して卒業まで活動を続けた。
このmellow blueというバンドを組むにあたり出会ったベースのりさちゃんとは一生の友達となった。
ベボベのツアーにも一緒に行ったね。
そんな大学時代の思い出。
歳を重ねるごとに聴く音楽の趣向も変わり、最初は純粋なロックばかりだったのが、今ではセカロイの回し者かというくらいHomecomingsなど穏やかな音楽で肩を揺らし、はたまたNDGやハバナイなど東京アンダーグラウンドのレイブな音楽で踊り狂っている。
信用金庫に就職を決めてからというもの、インディーズ、アマチュアバンドのライブが日々の楽しみとなっている。
参加しやすいし、人も少ないし、チケットも絶対取れるし、値段も安いし。
そして現在。2016年。
先日、お付き合いすることになった女の子と共にGRAPEVINE × TRICERATOPSのツーマンライブに行った。
何だか高校生の頃に戻ったような感覚になり、とても楽しかった。
そこで立ち返ってしまった。
バンドがしたい、と思った。
社会人は遊びが充実しても、やはり特定のメンバーとバンドを組んでいた頃とは圧倒的に違う。
圧倒的に寂しさが付き纏う。
趣味でDTMソフトをダウンロードして一人で黙々と曲は作り続けているが、バンドを組もうと行動を起こしているわけではない。
遅くはないだろうか。25歳だぞ。
仕事も大変になってくる頃だぞ。
でも一度くらい二条nanoのステージに立ってみたいな。
いざ始めたら、聴く音楽の趣向が変わったとか言いつつ初期衝動バリバリの曲がやりたいな。
頭の中でオンリーロンリーグローリーの歌詞が鳴り響き続けている。
文月をしたためて
7月の京都といえば何かと胸躍るイベントが多く、直接参加しないにしても浮き足立った街の雰囲気だけでワクワクしてしまうものです。
あまり関係はないのですが、個人的に人生の中で印象深いイベントが発生してしまうのも7月な気がします。
例えば、公式戦とか旅行とか祭りとか恋とか。
そんな7月の話を少し。
学生時代、僕はmellow blueというギターポップバンドを組んでサークルのイベントのみで細々と活動していました。
3年前の初夏、誰も作れないようなポップで死ぬほどエモいアンセムを作ってサークルを引退してやろう!完成したら夏ポテトのCMソングにしてください!ってくらいの意気込みで曲作りをしていた時期がありました。
トキメキも切なさも友情も全部還元できるような一曲をぶつけようと。
そんな折、ゼミ合宿で東京に行く機会があり、これはチャンスとばかりに一日前乗りでずっと行ってみたかった聖蹟桜ヶ丘に行ってきたのです。
言わずと知れたジブリの名作「耳をすませば」の舞台。
行ったからといって特に何があるわけでもないのですが、雫が駆け抜けた景色の中に身を投じる感動は言葉にできないものがありました。
やなやつ!しか言えねえ。
その他Base Ball Bearの名曲「ELECTRIC SUMMER」のPVの撮影場所でもある日本武道館に隣接した科学技術館で童心に返って遊びまくったり(アイコンの写真もそこで撮ったもの)、渋谷のファーストキッチンで友人とダラダラしたりと東京を満喫。
そしてホテルに帰り着くや否や、高揚感に任せサークルメンバーたちとのこれまでを思い起こしながらベッドの上で書き上げたのが「七月」という曲。どストレート。
もうこの曲が作れたから死んでもいいかも!と思えました。
しかし振り返れば駄作でしかありません。
コードも7つだけ、歌詞も小っ恥ずかしいようなもの、メロディーも多分ありふれてる。
それでもサークルの現役生活最後の夏に作った曲というだけで、ディレイとコーラスが効いた感動の粒子が僕の人生に一生ついて回るだろうなあと思ったのです。
夕日を浸した海に抱かれていたい
この感情を忘れずに大人になれたら
という歌詞が2番Bメロにあるのですが、ちょっとした大人になってしまった今、こんな純粋な感情が自分の中に残ってるのかどうか怪しいです。笑
ちょっとでも気を抜くと、休日を充実させる手段や、貯金とか将来への漠然とした不安のことくらいしか考えてない気がします。
ただ学生時代こういう曲を作った、という記憶と記録がある限り僕はいつでも青春を取り戻すことができるのです。
今月で25歳になるけど、それでも青春です。
大人になってしまった今、僕たちは若さに頼っていた頃とは違う形で7月のトキメキを生み出さなければなりません。
自分だけの風物詩。
水辺と、歪まない音楽と、夏服の女の子。
この曲もそういったもののひとつになりつつあるのです。
余談ですが、この曲を作った当時も今も恋人はいません。悲しい。
夏ポテトとサクレ食いてえ。
当時のルーズリーフ。センチメント。。
Out of the mosh pit
2015年9月にHave a Nice Day!というバンドがリリースしたアルバム「Dystopia Romance」の購入方法にクラウドファンディングを設け、出資額が100万円に到達すれば恵比寿リキッドルームにて開催予定のリリースパーティーをフリーイベントにする。
先に断っておくと、私はモッシュが苦手である。
ブルーハーツの歌う
“決して負けない強いチカラ”とは何なんだろうか
オレは最近それが“信じる”ってことなんじゃないかって思ってる
とてもシンプルなことだけど
本当の意味でこれを手に入れることが出来る奴はごくわずかだ
それこそがDOMMUNEのインタビューで浅見が涙ぐみながら、再現したいと語った「普通でない景色」なのではないだろうか。
京都に住む私はあの夜その場に行くことが出来ず悔しい思いをしたが、このドキュメンタリー映画を通してあの美しいモッシュピットを目撃すれば、まだ東京アンダーグラウンドの当事者になることはできるはずだ。
珈琲とごまかし
天気が曇れば何かと不満を漏らせど、晴れたところで私はいつだって建物の中である。
充実を求める割に、外に出てライブ鑑賞などの予定を消化している最中はあの漫画が読みたいやら、この映画が観たいやら色々なインドア思考が渦巻き、かと言って実際家から一歩も出ずに文化的教養の蓄積に努めた日は一日を無駄にしてしまったと、誰にも処されることのない罪悪感に苛まれてしまうのである。
充実って何だ。つまりは何か楽しい空間を特定の誰かと共有したいだけなのではないかと。
ご飯を食べながら談笑しているだけでも充実した気になれるのだから、自分ではない誰かの力は偉大である。ビバ友達。
それが分かれば何も難しいことはないのではないか!書を捨てよ、友に会おう!
ここである。私は友達が少ない。
正確には、同じコミュニティに属する同世代とある程度の節度と砕きを持って話すことはできるが、たまの休日に「あいつも同じく暇だろうから何をするでもないが居心地が良いので声でもかけてみるか」の対象となる者が数えるほどしかいないのである。
齢二十四にして遊びに誘うのが下手なのである。
同時に、私をそういう対象と見なしてくれる友達もまた少ない。
最悪の類は友を呼ぶ現象である。
というより数が少ない時点で類も友を呼べていない。最悪である。
なので仕方なく一人で過ごすことの多い最近の専らの楽しみは、以前知り合った花屋で働く美人のスモーカー留年女子大生が教えてくれた今出川大宮の喫茶店、逃現郷で食事を摂り、珈琲を飲むことである。
この記事も今まさに逃現郷で書いている。
いまの自分にとって皮肉とも受け取れる店名はさて置き、ここの珈琲は美味い。
珈琲を頼むと付いてくるチョコレートとごまかしが何とも嬉しい。
銀行業務検定の勉強も、漫画を読むのも、DTMで曲を作るのも全て逃現郷である。
いささか迷惑かとは思うも友達の少ない私を哀れんだ従業員の無言の情が、お冷の注ぎ方からビチャビチャ伝わってくる。(と都合よく判断している)
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こういうお店で友達と予定を合わせ、趣味の話に花を咲かせればいいじゃないとも思う。
しかし、こういうお店で過ごすのは一人の方が落ち着くなあとも思ってしまう。
しかし、致命的に寂しい。
いよいよどうしようもない。
そもそも私には趣味の話を共有出来る友達も少ない。
皆さんご存知の通り、私の趣味はいわゆるサブカルチャーに該当するものが多い。
「サブカルチャーであること」に重きを置いている自覚は全くないが、大衆メディアから発信される文化的教養に満足せず、自分が純粋に好きになれるものを探し彷徨い気付けば属していたコミュニティから率先して弾き出されていたというのが現状である。
しかし、友達に全く同じ趣味を求めているわけではない。
むしろ趣味が同じでも仲良くなれない輩は一定数いる。
かと言って自分が全く介入できない分野の人間とも打ち解けるのは困難である。
勤め先の同期の一人(口が悪い)が以前「好きな子が三代続くJの一族に魅了されていると知ったら千年の恋も冷める」というようなことを口走ったことがある。
私も同意した。Jの一族を否定しているわけではないが、あまりにも領域が違い過ぎる。
これは世間から見れば私に非があるのかもしれないが、全くもって興味を持てないものはしょうがない。
自分の領域外の趣味を持つ異性でも素敵だと感じる人だっている。
ただ、その両者とも性別に関わりなく心の底から仲良くなれるかどうかは別問題であるとも思っている。
では人と仲良くなれるかどうかの基準は一体何なのであろうか。
正解ではないかもしれないが、私にとって最も納得できるその答えは「笑い」ではないかと最近考えるようになった。
その気付きのきっかけとなった男に出会ったのは、大学生活も終わりの終わり、卒業式後の謝恩会である。
私は社会学部のメディア学科という、スポーツ推薦と指定校推薦と内部進学とオタクと浪人の占める割合の多い何ともアナーキーな場で学んでいた。
もちろん学科での友達は数えるほどしかいない。
交友関係のほとんどを軽音サークルという最初からある程度趣味を同じくする者の集うコミュニティで構成し、学科での友達作りを見限っていたのである。
しかし謝恩会で出会った彼は音楽の趣味が合うことから仲良くなりはしたが、そんなことを度外視してもとても興味深く、波長が合い、自分にとって奇特な存在だと感じた。
なぜ彼が面白いかというと、彼は頭が良いのだ。
教養に富み、文化に造詣が深く、ボキャブラリーの幅が広い。
総合的にクリエイティブなのである。あとエロい。クリエッチブなのである。
私は今までの人生でどちらかというと、顔芸や一発芸的な生まれながらの素質を武器に笑いをとるタイプではなく、語彙力や良い語呂の閃きによって日常の違和感を拾ってちょっと上手いことを言うといったタイプだったので、彼にも近しい何かを感じすぐに打ち解けた。
大学生活の4年間顔も知らなかった男と卒業してから最も親しくさせて頂いている。
そんな彼との会話の中でやはり大事なのは「同じ事象で笑いを共有できるかどうか」だと自分なりに腑に落ちる答えを得られたのである。
齢二十四にして。
気遣いを身につけていない小学生たちが何となくで感じ取っている物事にやっと説明がついたのである。
しかし大人数で大笑いしたいわけでもない。
仲間内でのそういった出来事も楽しいが、それは特別であって日常ではない。
私の好きなHi, how are you?というユニットの曲「僕の部屋においでよ」にこんな歌詞がある。
一人でいるのもみんなでいるのも何か何か何か違くって
誰かと二人 僕の部屋でコーヒー飲みたい
真理である。原田くんの機微やリリックセンスが私の琴線をジャカジャカストロークしてくる。
齢二十四にして、少なくてもいいから誰か一緒にいて決定的に心地良い人間との時間を、愛おしく思える大人になりたいなんて当たり前のことを考えてしまう。
数が少なくても、趣味が合わなくても、会話の中で心から笑い合える仲であれば、遊びに誘うのに気を遣う必要などないのだろう。友達なのだから。
充実を考えるのはその後でいい。
何ならある程度周りに素敵な友達がいれば、無理矢理増やすものでもないだろうとポジティブな卑屈論で虚しさをごまかしそうにもなるけれど。
でもハイハワが好きでちょっとエッチな可愛い女の子と友達になって、好きな映画を観たり漫喫でダラダラしたりしたい。
寺山修司もそう思ってる。きっと。