青さについて

Kiss Mintとカロリーメイトとファイブミニみたいな青春

恋と明朝体

宿題に絵日記があった小学生時代。
絵を描くのは好きでしたが、僕は日記を書くという行為自体に面倒臭さを感じ適当にやり過ごしていました。

おじいちゃんの家に行って従兄弟たちと花火をしました。楽しかったです。
お父さんと海で釣りをしました。楽しかったです。
お姉ちゃんとトランプをしました。楽しかったです。

振り返れば楽しかったことだけを記録する儀式と化していましたが、今年で四半世紀の齢を迎えるいま。
気軽に世に何でも発信できる媒体を手にし何かをしたためようと思うとき、文章にする事柄は純粋に楽しかった思い出だけかと言われればそうではないはずです。

少しの時が経ち、僕の中高生時代にはモバイルスペースの個人ホームページやmixi、デコログなどのSNSが大流行しました。
例に漏れず僕も同級生に弾かれない手段としてmixiに登録し、それなりにモバイルライフを充実させていたかと思います。
そして、高校2年生のあるとき僕はFC2でブログを開設しました。
なぜアメブロなどのスタンダードなツールにしなかったかというと、ブログのテンプレート(背景や記事の配置)の豊富さに加え、当時POLYSICSにどハマりし、その中の黒と黄緑のデジタルチックなテンプレートを超格好良い!と思ったからだったと記憶しています。笑

その日学校で起こったこと、その場その場で覚えた感情、友人とのあれこれ、下らない言葉、好きな音楽や映画について。
17才の7月から1年間ほぼ毎日投稿し続けました。たったひとつ、目的を持って。

当時付き合っていた彼女には1年間にも及ぶアメリカ留学が決まっていました。
いきなり決まったわけではなく、アメリカ留学に行く前提でその高校に入学しそれを了承した上で交際していたので、その間の意思疎通やこちらの近況報告の手段をどうしたものかと1年間割と真剣に考えていたのです。
そして結果として選んだのがブログという単純なツール。無機質な文字。
電話だと時差の関係でどちらかが夜更かしするか早起きしないといけないし、メールだと返信の義務を課すような感じになるのが嫌だったので。
名目的に近況報告なんて言ってましたが、腹の中では「遠距離になって別れたくない」「このブログの更新を彼女が楽しみに待ってくれることで繫ぎ止めたい」といったベイビーボーイ思考が渦巻いていました。

そしていざ始まった手紙代わりのブログも硬さが取れ、心の中のSoulJaも落ち着きを取り戻した頃に僕は文章を書く楽しみを覚えていきます。
具体的に賞に応募したり新聞や雑誌に投稿したりといった行動を起こしたわけではありませんが、少し長い文章で自分の思考を表現できる能力はあらゆる場面で役に立つのではないかと思ったのです。
かと言って自分が上手な文章を書けるかどうかと問われれば正直自信はありません。
僕の文章はどちらかというと、ちょっと知的ぶった難しい言葉を多用して結果的に読みづらく、何が言いたいのかよく分からないものが殆どのように思います。苦笑
まぁ校内の作文や読書感想文で賞を貰ったり、駿台模試の現代文で全国1位になった程度の国語力ですかね。感じ悪いな。笑

ある程度ものが書けるようになり、何か面白いものを書いてみたいと試行錯誤した結果、僕は敢えて羞恥心を捨てて思春期ならではの少し痛い短編小説チックな文章をそのブログに投稿してみました。
自分では面白いと思っていたので周りに無視されてもそれはそれで構わないくらいの軽い投稿だったのですが、これが思いの外反響があり驚いたものでした。
そして味をしめウケを狙い、難解な熟語を織り交ぜたポエムの産業廃棄物のようなものを投稿し、何のリアクションも返らない自主的な公開処刑を受けたこともあったり。
他にも彼女への赤裸々な想いを綴った記事を投稿したり、好きなバンドの歌詞を引用したり。

そんなふうに青春を乱用することで合法的にレモンビーチをジャブジャブ渡り、何もない対岸に辿り着き、大人になってしまった昨今。
Twitterのリツイートなどでよくタイムラインに回ってくる面白いコラムやレビューを書く人は本当に凄いと思うのです。
コンテンツのオススメという意味では不特定多数の人が読む前提で書かれてるものが多いかとは思いますが、感想はどこまでいっても主観的なものであるし、その文章の中のユーモアも独自的なものや、友達との会話で繰り出す言葉のアヤのようなものが多く見受けられます。なのに結果的に第三者が読んでも面白いと感じる。
これは物書きでない人でも気軽に発信できるようになった現代だからこその面白みといいますか、むしろ読む側のニーズも今はそういう傾向にあるような気がするのです。
これがプロになればまた別の話になり、通用しなくなる局面もあるかとは思いますが。

何が言いたいかっていうと、結局面白いものというのは大いなる自己満足が加速させるものなのではないか、ということです。
「誰しもに面白いと思ってほしい」ではなくて、「自分が超最高!と思っているものに誰かが共感し、広まる」が現代の文明開化なのだと思うのです。
ただの熟語の解釈通りでなくなったネットでの「拡散」がまさにその最たるものですね。

僕も形は違えど、そういう「分かる人に分かればいい」という偏屈スタンスで面白いものが書けたらな、と思っています。
そして恋人もいない今、このブログには何の目的も背負わせていません!!涙
まぁ理想を言えば好きな漫画や映画、音楽のレビューもそうですけど、楽しかったライブのレポとかも書けたらいいですよね。

小学生時代の自分に「お前10年以上経ってもまだ作文に楽しかったですって書いてるぞ」って言ったりね。
なんちゃって。