too much too painful
金融という職業に就くまで知らなかった仕事がたくさんある。
10月に法人営業担当になって、取引先に訪問して初めて知った仕事がたくさんある。
先週、新規開拓で飛び込み訪問した会社もそうだった。
一見普通の民家だが表札をよく見ると有限会社と書いてある。
見た目から何の業種か判断できないその家のインターホンを押した。
「こんにちは!○○信用金庫の籔田と申します!今この辺りを挨拶回りしておりまして、もしよろしければ名刺だけでもお渡し出来ればと思うのですが…」
60代後半くらいだろうか、白髪に無精髭、眼鏡を頭にかけた猫背の男性がドアを開け出てきてくれた。
簡単な自己紹介を済ませ、名刺を渡して軽い質問をいくつか投げかける。
「こちらで何かお作りされてるんですか?」
「うちは、マッチ箱の印刷を主にやってます」
「へー!マッチ箱!色んな柄があって良いですよね!僕も煙草吸うので喫茶店とかに可愛い箱のマッチが置いてあると嬉しくなったりします!」
「ああ、うちも昔はそういう喫茶店とか居酒屋とかスナックのも作ってたんですけど、今はお寺のマッチがメインですね」
「お寺の?」
「はい、見ますか?」
「あ、じゃあせっかくなのでお邪魔でなければ見学させて頂いてもいいですか?」
「どうぞ」
工場の中に入るとたくさんの印刷機と色んな種類の紙の山があり、作業員が一人だけいた。
「こういう箱なんですけど」
そういって手渡してくれたのは丁度スマートフォンくらいのサイズの箱に寺院名と宗派、紋章、裏面に有難いお言葉が印刷された物だった。
「へぇー!お寺ってこういうマッチも作るんですね!知らなかったです!」
「最近は普通の人はマッチなんて使わないから先細る一方なんですけど、お寺のマッチで蝋燭に火を点ける文化はなくならないみたいでして。お陰様でうちはやっていけてる状況ですね」
「なるほど〜京都はお寺たくさんあるんで確かに困らないですね!」
「それが京都は大きい観光寺院ばかりでこういった物を発注するのも大人数で決めたり何かと大変らしく、元々ついてる大きい業者以外には作らせないみたいなんです。なので、うちは他府県の家族でやってるお寺をターゲットにしてますね」
「確かに京都のお寺って中に小さなお寺がたくさん入ってて住職だって一人じゃないですもんね。いや〜無知でお恥ずかしい限りですけどこういった物があるのも初めて知りました!」
「他にも寺院名の入った火を消す用の小さな団扇とかもセットで作ってますよ」
「ちなみにお寺関係以外ではどういう仕事が入るんですか?」
「和菓子屋さんの箱や熨斗の金の印刷もやってます。のっぺりしたプリントじゃなくてちゃんと輝きを保つ金の刷り方があってうちの強みはそこなんですよ」
「確かにお寺のマッチの箱も何ていうか、厳かな感じしますね」
「京都ではこれが出来るのはうちくらいですかね」
「変な言い方かもしれないですけど、こういうの作ってるって金融機関から言わせて頂くと面白いです。うちはビジネスマッチングに力を入れてるんですけど、こういう技術を求めてる色んな人や企業がうちの取引先にもいると思いますよ」
「まぁこういうった物の印刷やってるとこは他にあまり無いですからね」
「じゃあいま請け負ってる仕事も多いんじゃないですか?」
「実はいま仕事を減らして…というか断ってまして」
「あら、何でまた」
「見ての通りいまは社長の私と、アルバイトの子と二人でやってます。後継者がいないもんで…死んだ父が作った会社なんですけど、もう私の代で廃業しようと考えてます」
「そうなんですね…とても残念です。勿体ないですよ。多分分かってらっしゃるとは思うんですけど、金融機関の人間が飛び込みで訪問するっていうのは簡単に言うとお金を借りてくれませんか?ってことなんですね。社長のお話色々聞いておそらく資金需要は無いんだろうな、とは思ったんですけど今は個人的な興味でこちらの仕事を色んな人に知ってもらいたい気持ちでいっぱいです」
「いや〜そのお言葉だけでも有難いです。正直言うとね、後継者がいれば受注先を増やしたり、新しいことに挑戦したりしたかったんですけどね… もう今は設備資金のために○○銀行さんで借りた分を完済して請け負ってる仕事全部終えたら、ゆっくりしたいんです… あなたはまだ若いから分からないかもしれませんが… あと10年早くあなたと出会っていれば、そちらでお金を借りても良かったかもしれないですね…」
「そうですか…10年前なんて僕、まだ高校生ですよ……ふふっ冗談です!僕もそう言って頂けてとても嬉しいです!」
「高校生ですか!はははは!それは失礼しました!申し訳ないですが、今後そちらで取引させて頂くことは無いと思うんですけど、こうしてうちが作った物の話を聞いてくれて嬉しかったですし、楽しかったですよ。本当にありがとうございます」
「そんなそんな!僕も楽しかったです!また何か御縁がありましたら、是非とも宜しくお願いします!お忙しい時にお邪魔しました!」
そういってお辞儀をし、その会社を後にした。
社長は寂しそうな物言いではあったものの、自分の作った物を説明するとき本当に楽しそうだった。
新規開拓としては何の成果も得られなかったわけだが、私は誰かに自分の仕事を嬉しそうに話すあの社長をとても魅力的に感じた。
私も誰かに自分の働きを自慢できるほど頑張っているだろうか、と自問する。
仕事に限った話ではない。
自分がその都度置かれてる状況でベストを尽くせる人間に、そしてその姿を誰かに魅力的に感じてもらえる人間になれるだろうか。
今後の人生を歩む上で、立ち止まったり後戻りしたくなったとき。
私はきっと記憶の中のあの社長の笑顔に救われるかもしれない。
スーパーカブで帰り道を走り抜け、そういった瞬間の訪れを私は漠然と予感していた。