青さについて

Kiss Mintとカロリーメイトとファイブミニみたいな青春

Living Dying Showcase

「とても目が綺麗だったので、つい」となんばの地下道で声をかけてきたその女性は出会ってまだ名前を教え合わないうちから僕のことを知りたいと言い放った。

年齢や出身、仕事のことなど質問攻めに遭うも僕はドギマギしながら丁寧に答えようとする。

答えようとするが、彼女の一番最初の質問が僕の頭の中を支配し続けそれ以降は心ここに在らずな返答しか出来なかった。

10分前に遡る。

 

僕はBase Ball Bearの大阪公演に参加した後、なんばハッチを後にし地下道を駅に向かって歩いていた。

自身の青春を回想させるセットリストだったので感傷に浸り、その曲をイヤホンで聴きながら余韻にも浸っていたときだった。

すれ違いざまに女性に呼び止められた。

イヤホンをしていたため、初めは聞き取れず「えっ?」と反射してしまった。

普通だったら気に留めず、そのまま立ち去る人の方が多いかもしれない。

だがその女性は、繁華街によくいる現金寄付を募る外国人でもなければ、宗教の勧誘でもなさそうな風貌だったので困ってるのかもしれない、とつい足を止めてしまったのだ。

 

中肉中背中年のおばさんだった。

 

正直言うとこういうことがよくある。

僕は子供の頃から知らない人によく声をかけられる。

中学生の頃、大人の女性に遊びに誘われたり、高校生の頃、ライブハウスで1個上の他校の女の子に無理矢理アドレスを交換させられ毎日メールを送りつけられたり、予備校の食堂で僕のバッグ(ノートとか教材を入れる取っ手のついたプラスチックのあの懐かしいやつ)に貼ったベボベandymoriのステッカーを見て他クラスの人から声をかけられたり、渋谷でカンペを見ながらの宗教の勧誘を受けたり、交通量調査のバイト中ヤバいおっさんに絡まれたり、磔磔で中国人留学生に中国人と間違われてナンパされたり。

外国人観光客に道を聞かれるのなんて月イチペースで、この前なんて乗り換えまで口頭の英語で説明した。

 

今回は一体何だ?と、イヤホンを外す。

おばさんは「いまお時間大丈夫ですか?もしよろしければあなたの好きな本や大切な本、印象に残っている本を教えて頂けませんか?」と言う。

何だアンケートか、と安堵し「好きな本か…何だろう…」と考え始めたところでおばさんは口を開き加えて「私たちはヒューマンライブラリーというサークル活動をしている者でして、その活動の一環でこうして色んな人に話しかけてるんです」と心底怪しいことを口走った。

 

一方的に色々説明されたが、要は人の個性や人生観を本に見立て、彼らのサークルであるヒューマンライブラリーに蔵書(所属)する。

そしてその本役である人との対話を通じ、読書という行為に例えてその人のことを知ろうとする、理解する、そういったコミュニティを広げるといった活動内容で、数年前から世界各国で話題となっているものらしかった。

 

なるほどなるほど、決して怪しい勧誘でもなければ悪徳商法でもないのですね、ふむふむ、と説明を受けている最中ずっと人形のように相槌を打っていたが、そんなことはどうでもよくなっていた。

 

自分の好きな本や大切な本、印象に残っている本が全く思い浮かばなかったのだ。

もちろん本は好きだし、まぁたくさん読む方ではないけれど、曲がりなりにも現在紙に携わる職に就いている手前、自分の好きな本くらい他人にビシッと言えなくてどうする、じゃあ何だ?とずっとモヤモヤしていた。

漫画でもいいですよ、なんて言ってるけどこれはどう考えてもオススメの漫画を紹介するシチュエーションではないように思えた。

4,5分は悩んでいたと思う。

その女性もついには「こんなに真剣に考えて頂けるなんて思ってませんでした」と言う始末。俺もだわ。

「他の方は何て答えたんですか?」と逆に質問すると「意外と児童書を挙げるご年配の方もいらっしゃいましたよ」とのことだった。

自分が人生で初めて読んだ本は何だったか…と思いを巡らせる間も無く一冊の文庫本が浮かび上がった。

 

「夏の庭 The Friends」という湯本香樹実の有名な児童文学小説だ。

 

恥ずかしながら私は小学生時分まで読書というものが嫌いだった。

苦手というわけではなかったが、活字の面白さを知るより先に、読書の時間を勿体ないと感じる子供であった。

時間をかけて読んだ作品が面白くなかったら損した気持ちになるのでは、といった具合に捻くれていたため、それなら映画を観たり漫画を読んだ方が手っ取り早いと思っていた。

しかし進学した中学には朝の読書タイムなるものが存在しており、一限が始まるまでの15分間は本を読みましょう、という国語教師の中途半端な指導が反映されていたのだった(何故か中1の一学期だけだった気がする)。

家に帰っても私の本棚にはONE PIECEとバカドリルが同居しているだけで、人生訓を中1の馬鹿に説くような高尚且つやさしい読み物など存在していない。

一時父親がこれを読みなさいと言って「十五少年漂流記」の文庫本を渡してきたことがあったが、父親に読めと半ば強制されたことが癪だったこともあり素直に受け入れようとせず、海賊とバカの前に敗れ去りこの文庫本も文字通り漂流することとなったのだった。

そんなプチ反抗期の僕でも姉の勧めるもの、姉が鑑賞しているものからはダイレクトに影響を受けていた。

姉が教えてくれたスーパーカー松本大洋岩井俊二も子供の頃の僕にはとても刺激的だった。

そんな姉から朝の読書タイムにこれを読めば、と渡されたのが「夏の庭 The Friends」だったのだ。

小学生の男の子3人組が「死」とはどんなものか興味を持ったことから、近所に一人で住むお爺さんの観察を始めたものの、次第に子供たちはおじいさんと打ち解け、おじいさんのために出来ることをと奔走し、お爺さんも子供たちと出会ったことで新たに生き甲斐を見出し、そして永遠の別れが訪れて…

といった子供の目線で「死」を捉え考えさせる名著なのだが、僕がこの本を読んだのは後にも先にもその中1の朝の読書タイムのときだけなのである。

にもかかわらず、私はなんばの地下で見知らぬ女性によってこの本を思い出すこととなった。

 

初めてまともに読んだ活字だから?

「死」を扱う印象的な書籍だから?

それは否だ。恥ずべきことに僕はこの本を読まされたのだ。

姉にではない。朝の読書タイムという体制に読まされたのだ。

目の前にいる女性の説明するヒューマンライブラリーという社会人サークルの話を聞いてはっきりそう思ったのだ。

本来自然発生すべき人と人との対話により生まれる相互理解をこのサークルに所属させることで半ば強制しているのではないか。

勿論批判しているわけではない。

個人レベルで見れば「サークルに属しないと人とコミュニケーションを取れないなんて」と悲観されそうだが、集団レベルで見れば「体制を整えることでコミュニケーションの輪が広がるなんて素晴らしい!」と話題になりそうではある。

これは朝の読書タイムにも言えると同時に、世の中の一歩踏み込んだ行為とは実は一人で成し遂げるよりも長いものに巻かれた方が楽なのではないか、と思い至ったのだった。

 

とりあえず目の前の女性に「夏の庭 The Friends」と自分の読書習慣形成の起源について語った。

案の定サークルに参加してくれと頼まれ、連絡先まで交換した。

あなたはヒューマンライブラリーに蔵書されるべき素敵な考えの持ち主だ、と。

承諾もお断りもせず「考えておきます」と告げその女性と別れた。

多分、参加することはないだろう。

決してこの活動を否定しているわけではなく、自分には必要がないと思った。

勿論映画や漫画を読んだ方が早いと思ったからではない。

私にはこういった自分の理解が及ばない他者との出会いは自然発生してほしいと考えているからだ。

そういう意味では声をかけてきた女性との出会いは自然発生と言えるのかもしれないが。

とりあえずこのサークル活動に参加するかは未定だが、友人知人に好きな本を聞いてみるところから自分もコミュニケーションというものについて考え直してみようと思った良い機会となった。

 

 

 

ちなみに余談だが、別れ際「何でこんなに人が歩いてるのに僕に声をかけたんですか」とその女性に聞くと「とても目が綺麗だったから、つい」と答えた。

ベボベを聴いていたから十代の目を取り戻していたのかもしれない。

今回参加したBase Ball Bearのツアー名は「LIVE IN LIVE 〜I HUB YOU〜」であり、ベボベがHUBとなって人と人、バンドとバンドを繋ぐというコンセプトの対バンツアーだという。

小出もこんなところにまでその思惑が届いてるとは思うまい。

 

 

 

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

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