ドラマの象徴とスプーンの必要性
ホットのカフェオレを注文する。
テーブルに出されたらすぐに飲まずに膜が張るのを待ってその膜の真ん中に少しずつ砂糖を落としていく。
一定の重さに達したら耐えきれず砂糖を包んで膜がトプンと沈む。
この瞬間が僕はとても好きなのだけど、それを見た人には何をしているの、と少しだけ笑われてしまう。
行きつけのエレファントファクトリーコーヒーの常連のお客さんに印刷会社勤めの40代の男性がいる。
彼はいつもブレンドコーヒーを飲むときにスプーンで渦を作って、カップの端から少しずつミルクを流すことで渦巻き模様を作ってから味わっている。
合理性は何もないけどこういう自分ルールに拘っている人は素敵だなと思う。
こういったちょっと目が止まる仕草をする人には何かドラマを感じることがあって、この人にはこういう仕草がギミックとして出てくる映画が好きなのかな、とか今後どこかで渦巻き模様を見たらこの人のことを思い出すかもしれない、とかそういったちょっとしたもの。
別段何も起こらないのだけれど、それもまたドラマだって捉えられる。
誰かが笑ってくれたらそれもまた。
所作ひとつひとつの細部にドラマを宿すのも楽しい人生を作る一手だと思って、今日もカフェオレの膜に砂糖を落とし続けていく。