Erikson Control
いつもそれが自分のことだと実感するのにしっくり来ないのは、何も今に始まったことではなかった。
描いた絵に作品名と名前を書く。
学校の試験で名前を書く。
公的書類に署名する。
免許証を見つめる。
履歴書を量産する。
オンラインショッピングで個人情報を入力する。
いつだってそこには自分の氏名「籔 田 晃 平」とある。
自分の名前がそうであると認識した頃より自分の名前というものに愛着が持てなかった。
我が家は姓名判断を生業とする両親の知り合いの助言により、名前の画数を家族全員で統一している。
平成生まれだから「平」を付け、あとは画数が合う漢字を充てただけ。
「晃」という漢字自体には光り輝くというような意味合いがあるようだが、画数を優先し消去法的に付けられたため、特に「○○のような子になるように」といった願いは込められていない。
愛着が持てないどころか、自分の名前が嫌いですらある。
おまけにこの苗字。
小学生時代、苗字に「ブタ」を含むというだけでからかわれたり、軽いイジメに遭ったことも関係しているかもしれないが、そもそも「ヤブタ」という語感が自らの感性にそぐわない。
将来自分に子供が生まれたとき、どれだけ素敵な名前を付けてあげたとしても婿入りしない限りはこの苗字が強制的にくっついてくることを思うとまだ見ぬ我が子に本当に申し訳ない気持ちになる。
籔田という苗字のおこりは、戦国時代に遡る。らしい。
刀鍛冶をしていた遠い祖先がその功績を偉い武将か何かに認められ頂いた姓であるとかないとか。
竹籔と田んぼでも貰ったのだろうか。
絶対二つも要らないだろ、どっちかにしてくれよ、と子供ながらに親からこの話を聞かされ思ったものだ。
そう思うとまだ「やぶ」をピックアップして友人たちが付けてくれたニックネームの方が愛着が持てる。
「やぶ」「やぶちゃん」「やぶくん」「やぶさん」「やぶんぶん」「ぶんぶん」「ちゃんやぶ大先生」「ヤビンビン」「ぶんちゃん」「やぶんぶん釈迦」etc…
これらの方がまだ自分を呼ぶために誰かが付けてくれたor選んでくれた名前だと思えて嬉しい。
変なのが多いところは目を瞑って頂くとして。
結果的に姓も名も、自分のことを指す記号としてしか認識したくなかった。
自分の名前を気に入っていると言う人間を心から羨ましいと思う。今でもだ。
加えて「籔」という漢字の書きのややこしさ。
「藪」「薮」「䉤」と間違えられ方もバリエーション豊富だ。
読みの場合「ハマザキじゃなくてハマサキです!」と自分の氏名を間違えられると間髪入れず訂正してくる人がいるが、書きの場合は間違わせてしまったこちらが悪いような気持ちになり、訂正するのも気が引けてくる。
そもそも自分自身「藪田公平」でも「䉤田滉平」でも何でもいい。
何なら「破った恋文」とかでもいい。
小学生時代「ヤブタのラブレター破れた〜!」とからかわれ、そんなことあってたまるかと激昂した反面「巧いこと言うなあ、語呂も良いし」などと感心したものだった。
私のラブレターを受け取った歴代の恋人たちは、破局の後それらを破り捨て私の苗字に想いを馳せたのだろうか。
決して体を張ったギャグでないことだけは慮った上で直ちに破り捨ててくれないだろうか。
大人になった今となっては、自分を自分たらしめるものは名前などでなく、その人の属性、所属、役割、性格、経歴、インプット、アウトプットだと思う。
信用金庫で新米営業としてスーパーカブに跨る薮田くん。
印刷屋さんでシルクスクリーンを教えて楽しそうな藪田さん。
小中高とバスケをやりながらも本当は文化系で、絵を描いたりギターを弾いたりする方が好きなやぶ。
JC-120にミドル上げのオーバードライブかませたテレキャス鳴らして爽やかな曲ばっかり演奏してるやぶさん。
青い服ばっかり着て水色のリトルカブに跨るやぶんぶん。
名前などに頼らず、自分を形成する要素は自分で築き上げなくちゃ。
と言いたいところだが、やはり幼少期より自身の名前に誇りを持ってる人間はアイデンティティ形成の過程すら、自信を帯びたものになるだろう?そうなんだろう?っとうがった見方をしてしまう。
もう自分はその誇りを物心と引き換えに打ち砕かれてしまった。
なので「籔 田 晃 平」であること以上の自分自身を色んな角度から見出し、またどこかで誰かがそういった私の形成要素と出会ったときに私のことを思い出してもらえるくらいの人間にならなくては、と思う。
せっかく生まれたのだし。
これを読んだ人の中にも自分の名前をコンプレックスに感じていたり、何の愛着も持っていない人もいるかもしれない。
せっかく親から頂いた名前なのだから、捻くれず自信を持った方がいいですよ、と締めくくった方がブログとしては健康かもしれないが、個人的にそうは思わないので、せめて自分の子供には良い名前をつけてあげようぜ、と強制しない程度に提案しておく。
それにしても、やはり手紙やブログを書く際に締めくくりに堂々と「それでは御機嫌よう!○○でした!」と自分の名前を添えることができるのは羨ましい。
皆さんは自分の名前が好きですか?
僕は大嫌いです!それでは御機嫌よう!
破った恋文でした!